自然と流れるストーリーがあるのか
人は、変化を遺伝的に恐れることを知っている。
ソフトランディングが好ましい。
薄皮が剥がれていくように。
いつ命尽きるのかなんてわからないのにね。
生きたいから変化を嫌い、生き抜くために変化をする。
矛盾を抱えながら生きてるなんて、人間はおもしろくて、苦しくて、愛しい存在ですよね。
私は、変化する、しないに関わらず、そこにストーリーがあるか、注目しちゃいます。
まるで水が上流から下流に流れるように。
そして、ポンプで水を押し上げることには、また理由があるんですよね、きっと。
仮説検証で進行する際に、砂漠に水をやることなのか、上りエスカレーターに乗るのか。
たとえ砂漠に水をやることになってもチャレンジするのか、偶然、オアシスを見つけるのか。
考えながら走るのだけど、なんとなく方向性は太陽との位置関係で、わかっているような。
ストーリーは必ずある。そこにオリジナルが見つかる。
ストーリーを探すのではなく、見いだす。いや、今そこにある。
用法は違うのだけど、ノブレスオブリージュ。自身の役割がある。
別に漫然と生きてていい。全員が目的思考だと社会は麻痺しちゃいそう。
自然と道が創られ、自身だけのストーリーが描かれていく。
私はおせっかいだから、そのストーリーを見いだして、関わって、
その人や所属するコミュニティがボトムアップしたらいいなと思う。
楽しみ。私はそんな仕事をしていく。工程が改善されていくように。
One to Oneマーケティングがはまるように。
潜在ニーズに感動するように。
元気とは気を元に戻すこと。
自分とは自然から分かつもの。
自然と流れるストーリーがあるのか。